私にとってのキャリアカウンセリング
[2015/12/24]
「キャリアカウンセリングにみる現代人の苦悩」
「『「聴く』ことは人の心に何をもたらすか」
「セカンドライフに向けて『自分のキャリア』を考える」
過去3回にわたって、キャリアをめぐる貴重な意見をお話ししてくださった上篤先生。上先生は現在、フリーランスのキャリアカウンセラーとして活躍しています。
主な活動は、日本マンパワーの「キャリアカウンセラー養成講座」のインストラクターと、複数の企業・研究所などでのキャリアカウンセリングおよびスーパーバイジングです。以前は、企業などでの講師や、大学のキャリアデザイン学科の立ち上げや教鞭を執るなどの活動にも携わっていらっしゃいました。
そこで今回は、上先生が「なぜキャリアカウンセリングの仕事をするようになったか」についてうかがいました。その学びの姿勢は、きっとみなさんにも参考になるはずです。ぜひご一読ください。
●今回お話を聞いたのは・・・
上級産業カウンセラー
キャリアカウンセラー(CDA)
株式会社ウエ・コンサルタンツ 代表取締役
日本マンパワー「キャリアカウンセラー養成講座」講師
上 篤(うえ・あつし) さん
慶應義塾大学法学部卒、筑波大学院修士課程カウンセリング専攻修了。セイコーインスツル人事部長、SII教育センター社長、大手前大学キャリアデザイン学科教授を経て現職。「カウンセリングによる個人の自立と組織の共生」を目指し、キャリア開発・キャリア教育・メンタルヘルスケア・キャリアカウンセリング・心理カウンセリングを実践している。現在、キャリアカウンセラー養成講座講師や大手企業相談室のスーパーバイザーとして活躍中。
人間の持っている可能性はいろいろある
私が大学に入学したのは1960年のことです。高校では勉強中心の生活でしたから、「大学に入ったら何かしたい」と思っていました。それで選んだのが山登りです。大学には5年間行きましたが、その間は山・山・山。山から、山の仲間から、本当にさまざまなことを教えられました。私にとって、まさに「山は人生の学校」でした。
新卒で就職した会社は、腕時計を中心とするメーカーです。私の希望職種は経理でした。人とコミュニケーションをするのに苦手意識を持っていたからです。今思えば、経理にもコミュニケーションが必要とされますが、当時は理解できていませんでした。
ところが、いざふたを開けてみると、配属は人事課。
「えっ?! この僕が人事? 人と密にコミュニケーションをとらなければいけない人事の仕事を、僕がやれるのだろうか?」
それが最初の思いです。
結局、その後の33年間、同じ会社でずっと人事・教育畑を歩んできました。採用、配置、異動、昇進、昇格、教育、退職など、人事・教育に関するありとあらゆる仕事をしてきました。
そうした自分を振り返って思うのは、「人間の持っている可能性はいろいろあるんだなあ」ということです。入社当時の私は、自分で勝手に得意・不得意を決めつけていました。「自分は人とのコミュニケーションが不得意」だと勝手に思い込んでいたのです。でも、実際にはそんなことはありませんでした。
それは、誰にも同じような面があるのかもしれません。キャリアカウンセリングでも、「相談者には必ずいい点があるのだけれども、相談者自身はそれに気づいていない可能性がある。だから、キャリアカウンセラーが一緒に探し出して、それを伸ばそうとする」という部分がありますから。
カウンセリングとの出会い
私がカウンセリングと出会ったのは、入社6〜7年目、30歳になる少し前です。人事課の先輩が、「これから個人を大事にする時代が来るぞ。カウンセリングというものがあるから、勉強してみたらどうか」と言ってくれたのです。
カウンセリングについての知識がなかった私は、書店で心理学系の本を購入しました。そして、本に紹介されていた日本産業カウンセラー協会の講習に参加しました。それが自分に合っていたのか、本格的に学習を始め、資格を取りました。学習したことを、会社の人事施策や教育ブログラムなどにも取り入れました。
ただ、当時はカウンセリングというものに対して一部の方が誤解をもっていた時代です。「カウンセリングは特殊な人を対象としたもので、企業には不要だ」と捉えられたりもしました。
しかし、阪神・淡路大震災の後、カウンセラーが神戸に入って被災者をケアしたことで、社会的に認知されるようになりました。そこで私も、社内でカウンセリングという言葉を積極的に使って、各事業所の担当者を対象に傾聴訓練やメンタルヘルスケアの講習などを行うようになりました。また、後には、カウンセリングルームを設置して自らカウンセラーを務めたり、部下への学習を促進したり、メンタルヘルスケアの仕組みを作るなどの取り組みをしてきました。
一人ひとり違うことを心で実感
会社を退職してからは、以前から関心を持っていた筑波大学の社会人大学院に通い始めました。カウンセリング心理学という学問領域なのですが、その周辺心理学である臨床心理学や発達心理学、組織心理学も学べます。それらを学んで、自分に不足している知識を補いたいと思ったのです。57歳から59歳の時です。
クラスメイトは23人。さまざまな人がいました。小学校・中学校・高校の教師、児童相談所のカウンセラー、スクールカウンセラー、企業内カウンセラー、企業の人事・教育部門の管理職、国連機関で働いていた人、自衛隊員等々。20代後半から60歳前の私まで、異なる背景を持ち、異なるフィールドで働いている人たちが一緒に勉強しました。
社会人大学院ですから、授業は夜間と土曜日です。よく、大学で夕食を一緒にとりながら会話を交わしました。それはすごく刺激的な時間でした。
たとえば、クラスメイトのある教師が「今、学校ではこんなことに取り組んでいるんだよ」と話します。そうすると、企業で働く人が「それはすごく非効率的ですね」と言って、企業での取り組みを話します。それに対して教師は「なんて非人間的なの」と言う。すると、海外勤務の長い女性が「日本ではそんなことやっているの?」と驚いて、「海外ではこうよ」と話し出す、といった調子です。
まさに一人ひとり違うのです。私は人事部門で長く働いていたこともあり、一人ひとりが違うことは理解していたつもりです。でも、それは頭でわかっていただけ。社会人大学院でクラスメイトと語らうことで、一人ひとりが違うということを心で実感できるようになりました。
みんな違う。みんな自分自身の解答を持っている。解答はひとつじゃなくて、10人いれば10通りの解答がある。そのことを気持ちで受け止められるようになったのです。
人と人とのつながりで今がある
また、社会人大学院では、人と人とのつながりを強く感じられました。今、フリーランスとして仕事をしていられるのも、ここが原点になっているように思います。
なぜなら、ある時クラスメイトから声をかけられたのです。
「上さん、企業の人事・教育部門の担当者を対象に、講師としてリーダーシップやヒューマンリレーションの話をしてくれないか?」
私は喜んで引き受け、カウンセリングで学んだ知識や人事の仕事で経験したことを踏まえてお話しさせていただきました。そうすると今度は、私の話を聞いてくださった人が「今日の話と同じ内容でいいので、ウチの会社でも話してくれないか」と言ってくれました。そうして、その後の講師の仕事につながっていったのです。
さらに、別のある時には、日本キャリア開発協会の立野理事長にも声をかけられました。ちょうどその時、私はキャリアに強い関心を持っていました。ですから、声をかけられたことをきっかけにキャリアカウンセリングの勉強をして、CDA(キャリア・ディベロップメント・アドバイザー)の資格を取得しました。それが今、日本マンパワーでキャリアカウンセラー養成講座のインストラクターをする仕事につながっています。
「あの時、あの人が、声をかけてくれたから、今がある」。
私自身が経てきたそれぞれの場面を思い起こせば思い起こすほど、そう思います。人と人とのつながりの延長線上に、私の今の仕事があるように思います。
そうした意味では、キャリアカウンセラー養成講座で受講生と出会うことも、すごく楽しく感じています。養成講座では10日間も一緒に勉強します。受講生同士が仲良くなっていく姿を見るのも楽しいし、私との距離感が縮まっていくのを実感するのも楽しい。
こうした人と人とのつながりを、これからも大事にしていきたいと思います。
私にとってキャリアカウンセリングは山
私にとってキャリアカウンセリングとは、「山は人生の学校だ」ということと似ています。キャリアカウンセリングには学ぶことが多くあります。もちろん、キャリアカウンセリングを通して誰かを支えたいという思いはありますが、それはひとつのプロセスのような気がします。
私がキャリアカウンセリングに心を惹かれ、これまでずっと携わってきた理由、それは自分が学ぶことができるからです。自分の人生において本当にプラスになっていると思います。
>>上篤先生の前回の記事はコチラ
https://biz.nipponmanpower.co.jp/ps/choose/column/details.php?col_id=319Z8WE5