ちょっと一息

キャリアカウンセリングの役割考察(後編)

自分のこととして考えると、自己概念が成長する

[2015/12/24]

役割考察(後編)

 キャリアカウンセリングは何のために行うのでしょうか? それは相談者(クライエント)の「つながり」をつくるためです。「つながり」とは、「自分の心の中のつながり」と「自分と社会とのつながり」という2つの次元を指します。前者の「自分の心の中のつながり」をつくるためには、「見たくない自分」「思い出したくない経験」の意識された部分と、そうでない気づかない部分を統合する必要があります。また、後者の「自分と社会とのつながり」をつくるためには、「考える」という行為が必要になります。
 この場合の「考える」とは、自分事の世界にその事柄を置くということです。別の言葉で表現すれば、「自分のこととして考える」ということで、「社会で起こっていることは自分と関係がある」という当事者意識をもって考えるということです。

 以上は、前回の本コーナーでご紹介した、日本キャリア開発協会・立野了嗣理事長へのインタビュー記事概要です。今月は、その後編をご紹介いたします。
 「自分事の世界にその事柄を置く」「自分のこととして考える」とはどういうことなのか、さらに踏み込んだお話となりました。


●今回お話を聞いたのは・・・
 特定非営利活動法人 日本キャリア開発協会 理事長
 特定非営利活動法人 キャリア・コンサルティング協議会 相談役
 厚生労働省委託事業「キャリア・コンサルティング研究会」委員
 しごと能力研究学会 理事
 ACDA(Asia Career Development Association)会長
 立野 了嗣 さん

>>先月公開の「キャリアカウンセリングの役割考察(前編)」はコチラ

役割考察(後編)

自分に関係があるか、ないか

 前回、「社会で起こっていることは自分に関係がない」という他人事の状態について触れました。それはどういうことなのか、例を挙げてご紹介します。
 ある会社に、ちょっとした問題社員のDさんがいるとします。Dさんは、営業部門に所属していますが、業務の多忙さについて何かと不平不満を口にします。ほぼクレーマーのような状態です。一緒に働く担当者はもちろん、つい最近就任したマネジャーも手を焼いています。しかも10日後には、役員も出席する重要な会議があります。そこにはDさんも出席する予定ですが、何を言い出すかわかりません。そんなDさんの問題について、マネジャーは考えました。Dさんを別の部署に異動してもらうか、1人部下をつけて忙しさを緩和するしかないな」

 さて、マネジャーは、Dさんのことについて自分のこととして考えたと言えるでしょうか?
 実は、このマネジャーは、就任時に「俺はみんなの意見を何でも聞くから、言いたいことがあれば何でも言ってくれ」と自己PRしていました。ところが、問題社員であるDさんの話は聞きたくありません。それは、自己PRしたことと反する行動です。その矛盾に対して、マネジャーは自らの問題としてではなく、人事処遇によって解決するという、いわば他人事のような論理に問題をすり替えてしまっのです。おそらく無意識に、自分のこととして考えないようにしと言えます。

 では、同じケースで自分のこととして考えた場合、マネジャーはどのように考えるのでしょうか。
 マネジャーは問題社員のDさんに頭を抱えていました。そこで、同期入社のEさんに相談しました。そうしたら、Eさんから「Dさんから何か言われるのが怖いの?」と聞かれました。マネジャーにとっては意外な言葉でしたが、よくよく考えると、自分がDさんときちんと話をしていないことに気づきました。「俺、Dさんのことを避けていたのかなあ? 逃げていたのかも知れない」。思い起こせば思い起こすほど、自分がDさんを避けていた事実が浮かんできました。「俺、みんなの意見を何でも聞くって言ったのに、避けていたんだなあ。ちょっとイヤだけど思い切って話してみよう」。
 翌日、マネジャーはDさんと面談をしました。そうしたらやはり、Dさんは多忙な業務について不満を口にしました。でも、一番の不満は、その言い分を誰も聞いてくれないことだそうです。また、仕事に対しては忙しいながらもやりがいを感じていることがわかり、面談後は心なしかすっきりしたようです。マネジャーも心のつかえのようなものが落ちて、チーム内での業務分担のあり方を改善していこうと考え始めました。


「自分事の世界にその事柄を置く」とは

 さて、(前回のインタビュー記事で)「自分のこととして考える」と同じ意味合いで、自分事の世界にその事柄を置く」と表現しました。それはどういうことかをご説明します。

 人間は誰でも、自分事の世界の中心に自己概念を持っています。自己概念とは、「心の生命」であり、今の自分を支えているものです。そこには、ありたい自分に近づきたい」というエネルギー、成長の原動力が潜んでいます。そして、自分事の世界の外側に他人事の世界が存在します。
 図で説明すれば、中心に自己概念、その外側に自分事の世界、さらにその外側に他人事の世界が位置します。また、ある学者は、自分事の世界にある情報を生活知、他人事の世界にある情報を概念知と言いました。その説によれば、中心に自己概念、その外側に生活知、さらにその外側に概念知が位置することになります。

役割考察(後編)_図

 「自分事の世界にその事柄を置く」とは、図で言えば、他人事の世界の円内にある事柄を自分事の世界の円内に置き換えるということです。そうすれば、当然、自分事の世界は広がります。自分事の世界が広がり充実することは、自己概念のあり方にも影響を与えます。私はそれを自己概念の成長」だと考えます。つまり、他人事の世界から自分事の世界へ事柄を置き換えることによって、自己概念が成長するのです。

 生活知、概念知という言葉を使って説明するなら、概念知を生活知に取り入れることによって、自分事の世界が広がります。それは、外部から得て知っている知識を自分の慣れ親しんでいる言葉【自分事の世界にある情報=身近で具体的な認識】で説明できるようになるということです。自分ならではの言葉で説明することによって初めて自分事の世界のものになるというわけです。


出来事を個人の問題として捉えようとする

 高校の世界史の授業を思い出してみてください。通常、歴史的な出来事を覚えることを求められます。たとえば、1930年から1950年までの中国では、主に次のような出来事が挙げられます。

 1931年 満州事変勃発
 1932年 第一次上海事変、満州国成立
 1933年 福建事変で中華共和国成立
 1937年 盧溝橋事件、日中戦争勃発、第二次上海事変
 1941年 太平洋戦争勃発
 1945年 太平洋戦争終戦
 1946年 国民党と共産党との内戦が再勃発
 1947年 台湾で二・二八事件発生
 1949年 蔣介石が台湾へ逃れる、毛沢東共産党主席が中華人民共和国成立を宣言

 そして、テストでは「1931年にはどのような出来事があったでしょうか?」などの問題が出たりします。あくまで、出来事を知っているかどうかが問われます。そうした問いは、他人事の世界(概念知)を問うものです。日本の教育現場では、概念知が概念知のまま教えられていることが多いのではないでしょうか。

 しかしこれが、たとえば次のような問題だったらどうでしょうか?
●「1930年に中国で生まれ、15歳まで上海に住み、その後は台湾へ移り住んだ20歳の女性がいます。この女性の人生について、歴史的事件を交えながら書いてください」

 この問題は、出来事を知っているかどうかを問うだけではありません。歴史的事件が個人の人生にどのような影響を与えたを問う問題になっています。社会での出来事を個人の問題として捉えようとすことを促しているのです。こうした視点での思考のメカニズムこそ、「自分事の世界にその事柄を置くということだと思います。

 では、私たち自身はどうでしょうか? 日常生活での会話やビジネスシーンを思い起こしてみてください。他人事で済ませてしまうことも多いのではないでしょうか。
 たとえば、私は以前、会社のトイレで手を洗おうとしたら、水が出ませんでした。センサー式の蛇口でしたが、何かが故障していたのでしょう。そこで、隣の蛇口で手を洗ってから、管理人さんに「蛇口のひとつが壊れているみたいで水が出ませんよ」と伝えました。この時私は、「蛇口のひとつから水が出ない」という事柄自分事として「何とかしようと考えたのだと思います。でも、もし私が「そのうち誰かが直すだろう」と管理人さんに何も伝えなかったら、それは他人事で済ませるということになります。
 このように考えてみると、ある種のことにおいては、他人事で済ますことが当たり前のことと認識され、多くの人が疑問を持たずに受け入れていることもあるように思われます。

役割考察(後編)

自分と社会との影響関係を想像する

 人間というものは、そもそも社会的な存在です。自分の存在は社会に影響を与え、社会は自分に影響を与えています。
 ですから、「自分事の世界にその事柄を置く」ということは、自分と社会との影響関係を時間・空間の両面において想像するということだと言えるのではないでしょうか。それが、自分と社会とのつながりをつくる行為だと思うのです。

 日常的には、そうした形で考えることは少ないでしょう。しかし、人間性の中にはそういうものがあると思います。心のどこかで、自分のあり方・ある姿を考えて、ともに生きよう」としているのではないでしょうか。
 もちろん、すでにお話ししたように、自分の心の中が「見たくない自分」「思い出したくない経験」と統合されず、社会とのつながりに至らないこともあるでしょう。「ともに生きよう」とすることを阻害したり自己矛盾に陥ったりすることは、誰にも多かれ少なかれあるものです。
 それを解消するには、別の何かの手助が要りそうです。


役割考察(後編)

考える動機・きっかけを与える「経験代謝」

 さて、以上のことをキャリアカウンセリング(CDA)の役割・機能と関連づけて考えてみたいと思います。
 専門的な表現をすれば、キャリアカウンセリングとはその人の自己概念の成長を促す働きかけ」です。そして、自己概念の成長を促すためには、その人に成長しようとする方向」「学ぼうとする力」があり、自分事の世界にその事柄を置くよう、自分のこととして社会を考えることが必要です。
 とはいうものの、これまでお話ししてきたように、人にはさまざまな阻害要因や自己矛盾がありますので、自分事として考えるためには自己概念を探索しよう、自己概念に近づこうという動機やきっかけが重要です。「成長しようとする方向」や「学ぼうとする力」があっても、その方向や力を誰かが介在して手助けをしなければ、なかなか自分のこととして考えるのは難しい面があります。

 その人の「成長しようとする方向」「学ぼうとする力」を手助けするのは、教育と言えるでしょう。この場合の教育とは、必ずしも学校教育を指すわけではありません。人によって捉え方が異なることを意識した、広い意味での教育を指します。
 たとえば、メタファー(隠喩、暗喩)がなぜ効果があるかというと、人によって受け止め方が多様で、言葉の意味を限定していないからだそうです。先ほどご紹介した、15歳の女性の人生と絡めた歴史の問題も、答えを限定していません。女性の人生を自分なりに想像することによって、自分事として考えることを促しています。
 「成長しようとする方向」や「学ぼうとする力」は人によって違います。だからこそ、その違いを意識できていなければ、それを手助けすることも難しいのです。

 そうした点で、この広い意味での教育において、キャリアカウンセリングは大きな部分を担うものだと思います。
 人間がもともと持っている、社会での経験から学ぶ仕組み(これをJCDAでは「経験代謝」と呼んでいます)は、相談者の経験を語ってもらい、その経験の中に映っている自分・現れている自分に対する自問自答を促し、内省をしてもらおうとするものです。自分の心の中のつながり、自分と社会とのつながりを客観的に見て、自分の言葉で語る行為を促すからです。
 そして、それを担うのがCDA、キャリアカウンセラーの役割であり、果たすべき機能であると考えています。

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