ちょっと一息

キャリアカウンセリングの役割考察(前編)

2つの「つながり」をつくるために

[2015/11/27]

カウンセリング1

 キャリアカウンセリングとは、その人にとって望ましい職業選択やキャリア形成を支援するプロセスを指します。そのプロセスを担い、その人の人生を支援する専門家がキャリアカウンセラーです。2016年4月から国家資格化(資格名称:キャリアコンサルタント)されることが決まっており、社会的認知も広がりつつありますので、その役割についてはすでに諸説あります。
 そこで本記事においては、「つながり」という側面から、キャリアカウンセリングの役割を考えてみたいと思います。

 みなさんは「つながり」と聞くと、どのようなことを思い浮かべるでしょうか? キャリアカウンセリングが人を支援するプロセスであることを考えると、「人と人とのネットワーク」という意味合いでイメージされる人が多いかもしれません。
 キャリアカウンセラー資格CDA(Career Development Adviser)の認定団体である日本キャリア開発協会の立野了嗣理事長は、次のように話します。
 「つながりには、さまざまな次元があります。そして、キャリアカウンセリングの役割を、『つながりをつくるため』という意味合いで説明することができます」
 さらに、「つながりをつくるためには考えることが重要」だとも言います。
 果たしてどのようなことなのでしょうか? 立野了嗣理事長にインタビューをしましたので、ぜひご参照ください。


●今回お話を聞いたのは・・・
 特定非営利活動法人 日本キャリア開発協会 理事長
 特定非営利活動法人 キャリア・コンサルティング協議会 相談役
 厚生労働省委託事業「キャリア・コンサルティング研究会」委員
 しごと能力研究学会 理事
 ACDA(Asia Career Development Association)会長
 立野 了嗣 さん


「つながり」には2つの次元がある

 キャリアカウンセリングにおいて、つながり」は大切なキーワードです。
 キャリアカウンセリングを通した人と人とのつながり、いわゆる人的ネットワークもひとつの「つながり」と言えるでしょう。ただ、「つながり」という言葉はさまざまな次元を表すことが可能です。ここでは、キャリアカウンセリングの役割および機能という意味合いで、「つながり」を捉えたいと思います。

 私は最近、キャリアカウンセリングの役割・機能をつながりをつくるため」というアプローチで説明してもいいように考えています。その際の「つながり」とは、2つの次元を意味します。


自分の心の中のつながり

カウンセリング2


 ひとつは、自分の心の中のつながりです。
 人の心の中には、自分とはこういう人間だ」「自分にはこういう経験がある」「自分はこうありたい」などの意識されたイメージがあります。しかしその一方で、見たくない自分」「思い出したくない経験」などの部分もあります。

 「見たくない自分」とは、たとえば次のようなことを指します。
 ある会社で働くAさんに人事異動の辞令が出ました。辞令内容は、本店から地方支店への転勤です。Aさんは、それにひどくショックを受けると同時に、怒りがこみ上げてきました。「腹が立つ」「上司は能力がない」「こんな会社は信じられない」「地方市場は小さい、私がいくほどではない」と思いました。
 しかし、Bさんから「何に腹が立っているの?」と問いかけられたことをきっかけに、Aさんは自問自答をしてみました。そして、自問自答を進めるうちに、本店から地方支店への異動イコール「本店で勤務させるには能力不足」と評価されたと受け取り、その「評価」を認めたくないので、周囲の人や会社のせいにしている(自分を被害者として見立てている)」ということに気づきました。

 「見たくない自分」とはこのようなことです。Aさんの例で言えば、「能力が低い自分」ということになります。異動通知を受けた、という出来事に「能力が低い自分」という「評価」を観たのです。

 また、もう一方の「思い出したくない経験」とは、過去に受けた精神的・肉体的ショックによる心の傷(トラウマ)や、「見たくない自分」につながるような嫌な経験などを指します。たとえばAさんの場合、もしかすると「高校生の頃に勉強を怠けていて、志望校の入試で不合格だった」という経験かもしれません。
 こうした「見たくない自分」「思い出したくない経験」は誰でも持っているものですが、自分で認めることができず、気づかない場合が少なくありません。


「見たくない自分」を手がかりに自己概念に気づく

 自分の心の中のつながりについて話を戻しましょう。
 「自分とはこういう人間だ」「自分にはこういう経験がある」「自分はこうありたい」という意識されたイメージと、「見たくない自分」「思い出したくない経験」という覆われたイメージ。これら両者つないで統合すること、それが自分の心の中のつながりだと言えます。
 心の中のつながりがどのようなものか、Bさんの例でご説明しようと思いますが、その前に自己概念についてお話します。
 私は最近、自己概念とは「モノの見方、考え方の元となる自分らしさの中核」に名前を付けたものではないかと考えています。別の表現をすれば、自尊心の源泉プライドの拠り所ということです。肉体に生命があるように、自己概念は「心の生命」と言っていいと思います。では、Bさんの例における「自分は能力が低い」というのはどう考えるといいのでしょうか?
 Bさんは、「地方支店への異動通知」に「お前は能力が低い」と会社から評価されたという意味を読みとりました。このような出来事の受け止め方を「自己概念の否定的表現」と呼ぼうと思います。これは、その背景に自尊感情の拠り所である自己概念があるということです。「見たくない自分」の本当の姿は、「心の生命」たる自己概念が「地方支店への異動通知」という出来事に映し出した影だと考えます。
 ですから、見たくない自分」を手がかりに「心の生命」、自己概念に気づくことが、「見たくない自分」とつながることなのです。


カウンセリング3

自分と社会(他者)とのつながり

 さて、もうひとつの次元のつながりとは、自分と社会(他者)とのつながりです。ただ、このつながりを持つためには、ある程度、自分の心の中がつながっていることが必要です。もちろん、自分の心の中が完全に統合されることはあり得ませんが、自分にとって重要な経験が統合されていないと、社会に対する窓が一部閉ざされて支障をきたすと思うからです。
 そして、自分と社会とがつながるためには考える」という行為が必須となります。この場合の「考える」とは、自分事の世界にその事柄を置く(取り入れる)という行為のことを指します。

 ここで、考える」という行為について、少し掘り下げてみましょう。
 「EUに難民が流入している問題を知っていますか?」
 誰かがCさんにこう問いかけたとします。そして、Cさんが次のように答えたとします。
 「ああ、知っているよ。今年に入ってから、EUに不法入国した難民が60万人を超えているんだよね。特にドイツは難民の受け入れ態勢が整っているから、難民が殺到しているようだ。でも、近隣諸国は自国経済が厳しいから、受け入れに消極的。EUで分担して割り当てるようだね」

 Cさんは確かに、EUの難民問題についてある程度知っているようです。ただ、「考えている」かどうかはわかりません。知っている」ことと「考えている」ことは別物だからです。


自分のこととして考える

 さきほど私は、「考えるとは、自分事の世界にその事柄を置く行為のこと」と述べました。それは、自分との関係で事柄をどう捉えるかということを考える」行為に近く、その先に事柄を自分のこととして考える」行為が芽生えるように思います。
 では、EUの難民問題を自分のこととして考えた場合、「EUに難民が流入している問題を知っていますか?」という質問に、Cさんはどう答えるのでしょうか。たとえば次のような答えかもしれません。
 「ああ、知っているよ。今年に入ってから、EUに不法入国した難民が60万人を超えているんだよね。60万人と言えば、私の住んでいる千葉県船橋市と同じくらいだ。そんなに多くの人が短期間で増えたら、確かに住居や働き口を探すのが難しいだろうなあ。でも、もし自分も含めた船橋市民全員が難民になったらどうなるんだろう? そう考えると、一国の経済状況だけで受け入れを判断するのではなく、EU以外の地域を含めて保護する必要があるんじゃないかな。日本は移民の受け入れが少ないと聞くけど、知らないうちに私が受け入れ拒否に加担しているんじゃないかって、最近考えているんだ」

 こうして対比すると、「自分のこととして考える」というのは、社会で起こっていることは自分と関係がある」という当事者意識をもって考えるということであり、その対極にあるのは社会で起こっていることは自分に関係がない」という他人事の状態を指すように思います。
 そして、自分事として考えることは、自己概念を探そうという意欲、自己概念に近づこうとする心のエネルギーに左右されます。このことについては、次回お話したいと思います。

★本記事・立野了嗣さんへのインタビューの続きは、来月の当コーナーでご紹介いたします。

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