やりがいを感じて働く中で、3回の異動を経験
[2019/08/02]
就職活動をする時、あるいは就職先を決める時、みなさんは何を重視しましたか?
本記事でご紹介する桧垣京子さんは、「長く働き続けられること」だったと言います。そのために、システム開発のプロを目指すのですが・・。
職種や仕事内容は、必ずしも自分の思い通りになるとは限りません。桧垣さんもそうでした。さまざまな理由で異動することになります。ただ、異動によって得られたことも多く、今のご自身につながっているとのことです。
「私の転機」シリーズは、現役のキャリアコンサルタント/キャリアカウンセラーの生き方や考え方、感じ方についてご紹介しています。今回はIT企業で活躍する桧垣さんにインタビューしました。ぜひご一読ください。
●今回お話を聞いたのは・・・
IT企業勤務
CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
ファイナンシャル・プランニング技能士2級
准PRプランナー
桧垣 京子 さん
長く働き続けられる仕事を
新卒で就職活動を迎えた時、私は「長く働き続けられる仕事であること」を機軸にしました。祖母の姿を見ていたからです。
祖母は、小学校の教員をしていて、退職後は70歳くらいまで自宅で子ども向け学習塾を営んでいました。学習塾と言っても進学を目的としたものではなく、授業を補う寺子屋のようなものです。私も何度かお手伝いしながら、祖母が働き続ける姿を見て、自分もずっと働ける仕事に就きたいと思ったのです。
そうして選んだのが、システム開発を事業の柱とするIT企業です。「これからコンピュータ関連産業は社会の役に立つだろうし、手に職をつけて長く働き続けられる仕事だろう」と考えたからです。また、パソコンやワープロを扱うアルバイトをしていた経験で、プログラミングやシステム開発にも興味を持っていました。将来的には、システム開発力を磨いて、プロジェクトマネージャーを目指そうと思っていました。
システム開発業務から営業へ
ところが、実際に入社して仕事をしてみると、自分の思うようにはいきません。私の書いたプログラムを先輩に全部直されるという日々が続きました。新入社員ですからすぐにできないのは当たり前ですが、もしかすると開発やプログラミングに要する資質が足りなかったのもしれません。3〜4ヵ月後には開発業務から営業へ配置転換となりました。
この配置転換には少し落ち込みました。開発力を身につけて長く働き続けようと思ってこの会社を選んだのに、開発の仕事ができないとは・・。開発を主要事業としている会社ですから、新入社員が入社早々に営業に行く例も、当時はほとんどありませんでした。私は「自分だけが外された」という気持ちになりました。
でも実は、新しいソリューションが立ち上がったために、営業担当が必要とされていたのです。けっして外されたわけではなかったようです。また、お客様と接することは好きでした。上司や先輩に相談し教えてもらいながら、仕事を学びました。すると、お客様に提案することが楽しいと感じるようになっていきました。
お客様の要件に沿って提案内容を考える。自分なりに工夫する。それがお客様に受け入れられ、受注・導入が決まる。導入後もサポートをして、お客様から信頼を得る。そうした流れの中で喜びが蓄積していき、営業の仕事に大きなやりがいを感じるようになりました。大きな売上を獲得することもできました。
もちろん、システムにはトラブルが付きものです。ただ、お客様から信頼を得ていると、「一緒に解決しよう」と言ってくれるのです。そうした信頼関係は営業職の醍醐味です。それを味わうことができました。
2年間の休職、復職後の異動
その後、出産を機に休職しました。専業主婦での子育て生活は、思いのほか楽しい日々でした。何よりも子どもがかわいい。「このままずっと専業主婦でいようかなあ」と思った時もあります。
ただ、仕事での緊張感ある雰囲気の中で切磋琢磨する人間関係が、だんだんと恋しくなってきました。ギリギリの緊張感の中で尽力する充実感とでもいうのでしょうか。自分の足りないものを認識できたり、怒られたり、新しいことを学んだり・・。そんな日々を経験していたため、パワーを持て余していたのかもしれません。すごく悩みましたが、休職2年間で復職することにしました。
復職後は、スタッフ業務に異動することになりました。育児中であることの配慮からだろうと思います。仕事内容は、所属部門の経営管理です。たとえば、事業計画の策定、売上目標の管理、品質管理など多岐にわたります。
私はてっきり、やりがいのあった営業の仕事ができると思っていたので、当初はかなり落ち込みました。ただ、先輩から「会社の経営の一端を担っている」というスタッフ担当者としての矜持を感じました。確かに、自分たちが計画・管理することで生まれる結果は、会社全体の経営につながります。「経営を支えているのは自分たちだ」「スタッフ業務が存在するから働きやすい環境を作れるんだ」と思えるようになりました。
また、営業担当時と違って、組織全体を俯瞰する必要があり、そのために視座の高い考え方が求められます。それを学べたことは、今でも非常に役立っています。財務諸表などの知識も学ぶことができました。
「自分はこのままでいいのだろうか?」
経営管理スタッフの仕事は、任される案件も多くなり、ベテランの立場になっていきました。しかし、課長代理になった頃、「自分はこのままでいいのだろうか?」と思い始めました。「今の仕事ができるからと言って、会社の外でも通用するのだろうか?」「もし社外に出たら、私には市場価値があるのだろうか?」と考えさせられました。
あるプロジェクトで外部コンサルタントと接している過程で、情報を整理するのが苦手な自分、ロジカルシンキングが苦手な自分を痛感させられたからです。
そこで、順調に働けていたスタッフをあえて飛び出す決意をしました。人事育成に特化したグループ会社への出向の募集に応募することにしたのです。
応募の理由はほかにもあります。経営管理の仕事は営業担当者と接する機会が多いのですが、困っている若手の営業担当者が少なくありませんでした。たとえば「開発から営業に異動になったけれど自信がない」などです。もちろん当時も研修などの教育プログラムはありました。でも、「もっと体系的に営業の知識・スキルを修得してもらえるようになるといいのになあ」と感じていたからです。
そうして異動試験に合格。とても喜びました。しかし、私のライフラインチャート(※)は下降することになります。
(注釈)
※縦軸に満足度・充実度、横軸に過去の年齢(時間軸)をとって、自己の内面を探求する曲線のこと。
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★人事育成のグループ会社に希望通り異動できた桧垣京子さんに、その後何があったのでしょうか。本記事の続きは来月の当コーナーでご紹介いたします。
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