個人の成長と組織の発展を促す支援を目指して
[2018/08/30]
大学卒業後、生涯教育を柱にした教育関連会社に就職した中藤美智子さんは、数年後、人材サービス会社に転職。さらに、通訳者・翻訳者を主体とした人材派遣・人材紹介会社へと転職します。もちろん、その過程には楽しいことも辛いこともありました。
特に、3社目の人材派遣・人材紹介会社では、「全体像の見えるハンドリング感」や「自分のがんばりが反映する達成感」「学びと刺激のある仕事」に、本当に楽しく働くことができたと言います。
しかし、リーマン・ショックなどを機に現れてくる会社の方針や他社員の態度に、負の感情を抑えきれなくなります。
本記事は、これまで2回にわたってご紹介してきた中藤さんのキャリアストーリー最終話です。自分を認めてもらえない辛さ、学びへの姿勢、キャリアコンサルタントとしての活動、独立開業・会社設立への道のり、将来への想い等々、今回も心動かされるお話です。ぜひご一読ください。
●今回お話を聞いたのは・・・
グローリンク株式会社 代表取締役
CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
国家資格キャリアコンサルタント
2級キャリア・コンサルティング技能士
日本産業カウンセリング学会所属
中藤 美智子(なかとう・みちこ) さん
派遣スタッフへの向き合い方がわからない
私にとって3社目となる、通訳者・翻訳者を主体とした人材派遣・人材紹介の会社では、責任ある立場でやりがいのある仕事をさせていただき、本当に充実していました。しかし、リーマン・ショックや東日本大震災の影響で事業が縮小され、社内外のスタッフが職を失っていきました。それに伴って、私の気持ちは大きく揺らいでいきました。
私がキャリアに関する資格を知ったのは、その少し前のことです。リーマン・ショックの影響を受けて派遣登録スタッフの雇い止めなどが生じ、私が暗い表情をしていたのでしょう。見かねた上司が、「キャリアカウンセラーに相談してみたら?」とアドバイスしてくれました。
その時は大して気にも留めず、相談もしませんでした。ただ、私の問題は解決されないまま。次第に、派遣スタッフからの相談やクレームにどう向き合えばいいのかわからなくなってきました。
「何か勉強しなければいけない」
そう考えた時、「キャリアカウンセラー」という上司の言葉を思い出したのです。そして、日本マンパワーの『キャリアカウンセラー養成講座』(現在の『キャリアコンサルタント養成講座』の前身)に通うことを決めました。
派遣スタッフ向けのキャリア支援室を
『キャリアカウンセラー養成講座』に通い始めたら、それはもう、世界が180度変わりました。私はそれまで、会社の領域を超えた活動をほとんどしていなかったので、社外でさまざまな人たちと学び合って交流するということが新鮮で、とても楽しいことだと初めて知りました。自分を見つめ直す貴重な機会にもなりました。
もちろん、傾聴の姿勢など学んだことは、派遣登録スタッフとの面談で活かせそうです。CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)資格を取得して、社内に派遣登録スタッフ向けのキャリア支援室を立ち上げれば、優秀な人材を集めることにもつながるでしょう。そうすれば、辞めざるを得なかった人たちを戻すこともできるかもしれません。社長にもそのことを伝え、学習に励みました。
そうして無事に合格。社長にも「受かりました!」と報告に行きました。すると、返ってきた言葉は予想外のものでした。
「ごめんね。派遣事業は大手企業に取られるだろうから、人材部門は縮小することにしたよ。だから、あなたはそんなに力を注がなくてもいいよ」
「ここに私の居場所はない」
愕然としました。
「せっかく資格を取ったのに」
「人材部門を立て直そうと思っていたのに」
社長への不安・不満や他社員への怒りの感情が強くなったのは、この後です。ただ、周囲からの評価は私の思いと裏腹でした。ある日、深夜に社長から次のような内容のメールが届きました。
「あなたは本当にがんばってくれている。でも、そのやり方は違うと思う。あなたの努力は会社のためになっていない」
もしかすると社長には、「もっと視座を高くして会社の方向性を見てほしい」という思いがあったのかもしれません。でも、それは今になって推察できることです。その時の私に、そんな推察は働きませんでした。「ああ、認めてもらえないんだ」と、ひたすら落ち込みました。そして痛感したのです。
「ここに私の居場所はない」
私の持ち味は、人とのかかわりです。お客様や通訳者・翻訳者、派遣スタッフなどと関係性を構築することで能力を発揮してきました。それを大切にして生きてきました。けれども社長の言葉で、それが評価されていないと感じたのです。私のがんばりは独りよがりでしかなかったのだと。
自分の持ち味を発揮できる場所がなければ、居場所はありません。またもや、私のライフラインチャート(※)は落ち込みました。
(注釈)
※縦軸に満足度・充実度、横軸に過去の年齢(時間軸)をとって、自己の内面を探求する曲線のこと。
資格を活かして学生の就労支援
そんな時、CDA資格認定機関である日本キャリア開発協会(JCDA)から求人情報のメールが届きました。大学のキャリア支援室で学生の就労支援をするキャリアコンサルティングなどの仕事です。まだ会社で果たすべき役割がありましたので、すぐに転職するつもりはありませんでしたが、試しに応募してみました。そうしたら、意外にもとんとん拍子で話が進み、内定が出てしまいました。
すると、「ここに私の居場所はない」という気持ちに、「せっかく資格を取ったのだから、今後はもっと専門性を磨いていきたい」という気持ちが加わります。お世話になった社長に自分のビジョンを説明し、退職させてもらいました。
学生と向き合っての面談は初めての経験でしたが、資格を活かして人の働くを支援するという点でやりがいがありました。ただ、正職員ではなく有期雇用契約でしたので、最長5年までしか働けません。また、それまでの仕事と違って自分の役割が狭い領域に限られていたため、「講義や企業対応などにもかかわりたい」と思っていた私にはジレンマが生じました。その思いをぶつけた先が、JCDAでのボランティア活動です。
まず、2012年に開催された「CDA会員1万人達成記念大会」のプロジェクトメンバーに応募しました。その活動がきっかけとなり、次は「夢プロジェクト」に誘われました。私は企画メンバーの一員として、「夢カフェ」(JCDA会員相互のつながりの場として作られたワールドカフェ形式の交流会)を主催したり、ファシリテーターとして活動したり。出身である新潟県でも開催しました。おそらく、新潟県で初めてCDAが集ったイベントだと思います。
こうしてつながった人脈は、今でも公私に生きています。
キャリアコンサルタントとして独立開業
同時に、この頃に取り組んでいたのがキャリアコンサルタントとして独立開業する準備です。独立後に仕事を依頼してもらえるよう、研修エージェント会社に講師として登録したり、起業のための講座に通ったり、収支をシミュレーションしたり。できるだけ緻密に計算して、「これなら何とか生活していける」と確信した上で、2015年にフリーランスの個人事業主として独立しました。
独立後は、国がセルフ・キャリアドック制度(労働者に定期的にキャリアコンサルティングを実施する制度)を設けたタイミングと合ったおかげもあり、順調すぎるほどのスタートができました。1人の社労士と協力関係ができたことで、芋づる式に人脈ができ、十数名の社労士から仕事を依頼していただいたからです。結果、1年間で約50社・約330人のキャリアコンサルティングをすることができました。
ライフラインチャートも上昇曲線を描きました。
中藤美智子さんのライフラインチャート(21〜44歳)
個人の成長と組織の発展を促す支援に向けて
2017年には法人化し、現在は、ある大学のキャリアセンターで、1・2年生を対象に社会人基礎力を高めるためのワークショップや就労支援を行っています。あわせて、企業を対象とした新入社員研修の講師や、採用代行、人材サービス会社のキャリアアドバイザーに対するトレーニングなども行っています。日本産業カウンセリング学会事務局のお手伝いもしています。
また、「キャリア×自分史」をテーマとする取り組みも始めています。自分史をつくることは、これまでの自分を振り返り、経験してきたことに意味づけをすることで、未来のビジョンやキャリアプランにつながるからです。すでに自分史活用アドバイザーという資格の認定を受けるとともに、キャリアコンサルタントの学びを通じて知り合った人たちと関連書籍を共同出版する予定です。
将来的には、中堅・中小企業を対象に、個人の成長と組織の発展を促すような支援をしたいと考えています。経営に関心のあるキャリアコンサルタントは少ないかもしれませんが、私は、みんながハッピーになるためには個人と組織は車の両輪のような関係だと思うのです。それは、親が経営者だったことや、以前勤めていた会社で経営者の方に向き合ったり、経営者の方と事業発展に取り組んだりしたことが影響しているのでしょう。そうした支援は、出身である新潟県をも対象にして、恩返しすることができればと思っています。
社名の「グローリンク」とは、個人と組織の強い絆(Link)が個人の成長(Grow)をもたらすという意味で、個人の成長が組織の発展につながり社会の成熟をもたらしていく、という想いを込めています。
もっとも、さらに専門性を高めていくために勉強すべきことはたくさんあります。その意味では「現在、苦戦中」と言えるかもしれませんが、前向きに取り組んでいく姿勢です。