製薬会社の営業部長が、なぜ資格取得を目指したのか?
[2019/01/31]
「なぜ、キャリアの資格を取ろうと思ったのか?」
キャリアコンサルタントあるいはキャリアカウンセラーの資格に挑戦するきっかけや目的は、人によって異なります。ですから当然、資格取得後の活躍の場も活動内容も、千差万別です。
今回ご紹介する村尾光英さんは、長年にわたって大手外資系製薬会社に勤務してきました。MR(医薬情報担当者)として営業の第一線で活躍し、所長や営業部長も務めた経験を持ちます。
そんな村尾さんが50代半ばでCDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)を目指したのは、いくつかの偶然と必然が絡み合ったからです。現在はその製薬会社から業務委託される形で、同社のキャリアデザインセンターを担っています。その活動は、1対1のキャリアカウンセリングにとどまらず、グループキャリアカウンセリングにも及びます。
これからキャリアコンサルタントを目指す人にも、すでに資格を取得して活躍されている人にも勉強になるインタビュー記事です。ぜひご一読ください。
●今回お話を聞いたのは・・・
CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
2級キャリア・コンサルティング技能士
産業カウンセラー
村尾 光英 さん
新薬で患者さんやドクターに貢献したい
私は新卒である製薬会社に入社しました。画期的な新薬を患者さんやドクターに提供し、社会に貢献したいと思ったからです。でも残念ながら、入社した会社は新薬をほとんど開発できない会社でした。それに気づいてからはすぐにも転職したかったのですが、諸般の事情でタイミングを逸してしまいました。
ところが、MRとして実績を上げている私の働きぶりを見て、他社のMRさんが「うちの会社に来ないか」と声をかけてくれました。その会社は大手の外資系製薬会社です。
「ここなら画期的な新薬を開発しているし、それを使いこなせる大病院を中心に仕事ができる」
外資系企業は実力主義ですから不安もありましたが、患者さんやドクターに貢献できる喜びの方が勝り、転職を決めました。32歳の時です。
転職してからは、患者さんやドクターへの貢献を実感することができ、働きすぎるくらいに働きました。念願だった画期的な新薬をいくつも扱えましたし、さまざまなドクターの生きざまを目の当たりにすることもでき、多くの学び・感動・喜びがありました。営業成績も順調で、38歳でマネジャーになることができました。
理不尽を感じながらもトップ営業に
もちろん、楽しいことばかりではありません。ほかの職種も同じなのでしょうが、MRには理不尽を感じることが多いのです。たとえば、営業成績に対する会社の評価。日本には多くの製薬会社がありますが、ドクターがどの会社の薬を採用するかは、必ずしもMR個人だけの能力によるものではありません。ドクターがそれまでにどの会社と付き合ってきたか、どの会社にどのような協力をしてもらったかなど、歴史や政治的な背景と営業成績は切り離せないのです。しかし会社は、売上成績という客観的指標を主な評価対象とし、個別の事情はあまり考慮してくれません。
私自身、苦い思いをしたことは何度もあります。なかなか昇進できずに嫌気がさしていた時期もありましたし、意見が合わない上司と衝突したこともあります。京都のMR時代、向こうっ気が強かった私はある大病院の耳鼻科の部長と衝突し半年間出入り禁止になったこともあります。名古屋の営業部長時代には本社マーケティング部の活動がある教授の機嫌を損ねたことで全関連病院への出入りを禁止されたことがあります。その時はできることは何でもやろうと思い土下座もしましたが一定期間どうにもなりませんでした。今は懐かしい思い出です。
それでも営業の仕事は好きでした。助けてくれるドクターや上司もたくさんいました。そのおかげもあり、京都での所長時代には社内での最下位エリアからトップエリアに、四国の営業部長時代には2つの新薬売上で社内のトップ営業部になることができました。
最初のきっかけは胃がんの発症
そんな営業畑の私が、なぜCDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)の資格を取ろうとしたのか。その最初のきっかけは、胃がんになったことです。四国営業部長をしている52歳の時、人間ドックで発見され摘出手術を受けました。幸い早期発見でしたが、未分化がんであり、摘出した部分の断端にがん細胞があれば転移している証明です。摘出部分の細胞を調べて「転移しているかどうか」わかるまで退院後1週間が必要とされました。
「もし転移していたら・・」
そう考えると、さまざまなことが頭をめぐります。
「やり残したことはないだろうか?」
営業でやり残したことは思い当たりませんでした。思い浮かんだのは、「MRとしてがんばっている若い部下たちの悩みに、果たして応えられたのだろうか?」ということです。営業部長として「理不尽な思いをしている部下はいないだろうか、若手MRの辛さや悩みごとや聞いてあげて、いくらかでも和らげてあげているだろうか」と常々思っていたからです。退院後の1週間は、そんなことを漠然と考えていました。
その後、転移していないことがわかって胸を撫で下ろしました。部下の悩み対応については、60〜70人の部員全員のキャリア面談を年に1回、自主的に行うようにしました。ただ、今振り返ると、営業をベースとする上司面談のようになってしまっていたように思います。
ライフプランセミナーで将来を考える
2つ目のきっかけはそれから4年後、56歳の時に、社内のライフプランセミナーを受けたことです。「自分は今後どうするのか?」「退職後どうするのか?」について、直面する課題として具体的に考えさせられました。このまま営業の道を歩むのか? あるいは退職して別の道を歩むのか? 私が出した結論は、営業の道です。
ただ、ちょうど同時期に例年通り新入社員の面接官をする機会がありました。そこで学生と話すのが楽しかったのです。一緒に面接をしたHR部門の担当者とも「若い人と話すのは面白いよね」などと雑談をしていました。そうしたら、「村尾さん、そういうことが好きだったら、キャリア相談室というところもありますよ。主に相談業務をしているので、そういう道を考えるのもいいんじゃないですか」と言われたのです。
その時は「そうかもなあ」と思う程度で、キャリア相談とは何かも知りませんでしたが、頭の片隅には残りました。
キャリア相談室の仕事をするために
ほどなくして3つ目のきっかけが訪れました。妻から「友だちがCDAに合格してお祝いをするので、一緒に来る?」と誘われたのです。CDAのことは何も知りませんでしたが、誘われるがままついていくと、妻の友人は「ハローワークに勤めていて、ニートの人の支援をしている」と言います。その情景を想像しつつ話を聞いていると、次第に興味がわいてきました。
「会社に置き換えると、MRのサポートをすることに近いのだろうか?」
「そう言えば、HRの担当者はキャリア相談室の道を考えるのもいいと言っていたなあ。もしかすると、自分のやりたいことかもしれないぞ」
そして後日、東京・本社にあるキャリア相談室に行き、相談しました。
「キャリア相談室の仕事をしたいのですが、どうすればいいでしょうか?」
営業の道を諦めたわけではありませんが、私の第一声はこんな言葉でした。「なぜこの仕事がしたいのですか」そして、「わかりました。そうするとCDA資格を取るといいですね」だったのです。それは、妻の友人が取得した資格です。ここで初めて、3つのきっかけが合致し、CDA資格にチャレンジする決意をしたのです。
「試験は難しいかもしれないけれど、やってみなければわからない。ダメだったら、合わなかったと思えばいい。まずは受けてみよう」
当時は名古屋勤務でしたので、日本マンパワーの『キャリアカウンセラー養成講座』(現在の『キャリアコンサルタント養成講座』の前身)を名古屋で受講しました。
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★営業部長まで務めた村尾光英さんが、本当にキャリア相談室の仕事をすることになるのでしょうか? 実はこの後、大きなドラマが待ち受けています。村尾さんのストーリーの続きは来月の同コーナーでご紹介いたします。
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