ちょっと一息

今につながる「私の転機」 vol.2

キャリアカウンセラー養成講座で人生にYESを出せた

[2017/08/29]

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  人生の転機は誰にも訪れます。
 自ら選んだ転機、予想外の出来事による転機、期待通りにいかなかったことによる転機、自分にとって望ましい転機、望ましくない転機等々。

 前回の同シリーズ記事で紹介した原博子さんは、今、日本マンパワーのキャリアコンサルタント国家資格の面接試験対策講座インストラクターなど、キャリアカウンセリングの専門家として活躍しています。
 でも、30代前半までは、不動産会社の営業、シナリオライター、派遣会社アルバイト、専業主婦、社労士事務所勤務という経歴が示すように、さまざまな転機を経験してきました。

 本記事は原博子さんのストーリーの第2弾。ベビーカーを押しながら散歩していてふと目にした社労士事務所で働くことになった原さんは、その後も驚くような、とても興味深いキャリアを歩んでいきます。
 果たしてどのようなキャリアストーリーなのでしょうか? ぜひご一読ください。


●今回お話を聞いたのは・・・
 社会保険労務士
 CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
 2級キャリア・コンサルティング技能士
 JCDA認定 ピアファシリテーターアドバイザー
 日本キャリア開発協会 東関東支部 千葉地区役員 PF担当
 原 博子 さん


社労士に合格するも、事務所を退職

 小さい頃からの夢だったシナリオライターを続けることはできなくなってしまいましたが、社労士事務所での仕事はとても充実していました。パートタイマーから正社員にも登用していただき、顧問先も約10社、就業規則キャリア形成に関わるような実務にも携わらせていただきました。
 妊娠中から目指していた社労士資格はなかなか取れませんでした。でも、事務所の所長からは、「受からなくてもいいよ。私たちのように受かってしまうと新しい制度を勉強しないけれど、原さんのように受験している間は新しい制度を学ぶからね。助かるよ」と言われていました。何が幸いするかわかりません。
 結局、5回目の試験でようやく合格。38歳の時です。実務もかなり習得できてきていて、「さあこれから」とモチベーションも高まりました。
 ところが、社労士事務所を退職することになったのです。所長は私をとても気にかけてくれていたのですが、そのころ事務所内の組織改編などさまざまな事情が重なったこともあり、資格取得後のキャリアについても一度立ち止まって考える良い機会かもしれない、と思い自ら退職をすることにしました。


社労士資格のおかげで労働局に入職

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 社労士として独立開業するほどの力は私にありません。そこで、とりあえずハローワークに失業給付を受給する手続きに行きました。すると、ふと求人票を眺めていた私の目に、ある募集が飛び込んできました。窓口にいたハローワークの職員に詳しくその内容を聞いたところ、「労働局で人を探しているんですが……」と言うのです。労働局とは、厚生労働省の出先機関で、地方支分部局の一つです。
 ちょうどその頃、リーマンショックの影響で中小企業が倒産するのを防止するため、国が助成金を再編・拡充しようとしていました。そのため労働局は、新しい助成金について企業にアドバイスする社労士資格を持っている民間企業出身者の非常勤職員を求めていたのです。そうした条件の人はなかなかいなかったようですが、私はまさにマッチしていました。ハローワークの人が「面接だけでも受けてみたら」と熱心に誘ってくださったので、「これも何かの縁」だと思って面接に行ったところ、すんなりと労働局への入職が決定しました。担当したのは助成金の支給申請アドバイザーです。


かけがえのない出会い、CDAとの出会い

 社労士事務所を退職して落ち込んでいた私の満足度・充実度は、労働局に入職した頃から上り調子になります。その最たる原因は、日本マンパワーの『キャリアカウンセラー養成講座』(現在の『キャリアコンサルタント養成講座』の前身)を受講したことです。CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)資格を目指す通信・通学総合講座です。私にとってCDAとの出会いは、その後の人生を充実したものにする、かけがえのない出会いとなりました。

 そもそも、CDA資格取得を目指した理由は、社労士事務所時代にさかのぼります。当時、ある病院から「看護師のキャリア形成をお願いしたい」と依頼され、私が担当になりました。そのため、病院に常駐して看護師さんたちからヒアリングなどをしていました。ところが、看護師さんたちがまったく心を開いてくれないのです。私に本音を全然話してくれない。よくよく考えてみると当たり前かもしれません。社労士は経営者の味方だと思われていたので、看護師さんたちは「何か言ったら辞めされてしまうかも」という恐れを抱いていたのだと思います。
 そのような経験があったので、キャリアカウンセラーという資格があることは知っていたのですが、当時は受講するような行動に至りませんでした。でも、労働局には周りにキャリアカウンセラー有資格者が何人かいたのです。そのうちの1人に相談をすると、資格に詳しいCDAの方を紹介してくれました。その方に電話をしてみると、「原さんはどういうことをやりたいの?」などいろいろと話を聴いてくれて、「カウンセラーの資格はいろいろとあるけれど、原さんのように『よりよく生きたい』『より幸せに生きたい』という思いが強いのなら、CDAが合っているのでは」とアドバイスしてくれたのです。
 受講にあたっては、何社かの説明会に参加しましたが、日本マンパワーに最も熱があるように感じられ。『キャリアカウンセラー養成講座』の受講を決めました。

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原博子さんのライフラインチャート(27〜40歳)

※ライフラインチャートとは、縦軸に満足度・充実度、横軸に過去の年齢(時間軸)をとって、自己の内面を探求する曲線のことです。


シナリオライターの経験がつながっていた

 『キャリアカウンセラー養成講座』には8日間(当時)の通学コースの授業があり、さまざまなワークに取り組みました。そのひとつに、キャリアカウンセラー役と相談者役とに分かれてキャリカウンセリングの実践練習をするロールプレイングがあります。その時に褒められたことは今でも覚えています。キャリアカウンセラー役を終えた私に、先生はこう言いました。
 「原さんは、出来事の背景にあるその人の自己概念をキャッチするのが、すごく上手ですね。もしかすると、シナリオライターだった経験が影響しているのかもしれませんね」
 先生のその言葉を聞いて、何だかほっとしました。「私のキャリアってつながっているんだ」と思えたからです。
 というのは、すでにお話ししたように、私はシナリオライターの仕事を辞めてしまっていました。自分のキャリアを自ら分断していました。でもやはり、シナリオライターは小さい頃からの夢でしたから、「手放さずに済んだ方法があったかも」「どうして手放してしまったんだろう」などと、悶々とした気持ちを持ち続けていたのです。そんな時に先生の「シナリオライターだった経験が影響しているのかも」という言葉。「あぁ、分断されていなかったんだ。つながるんだなぁ」と、船が港に着いたような安堵感を感じられたのです。
 養成講座ではほかにもワークがあり、それらを通して自分を見つめられました。そうして初めて、自分の人生にYESを出せた感じがしました。


人物を描くこと、人生の物語を聴くこと

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 養成講座を受講したことによって、未来の人生についてもいろいろと考えることができました。
 「シナリオライターとしてやりたかったことを、キャリアカウンセラーとして実現できるかもしれない」
 そんな風にも思い始めました。なぜなら、私がシナリオライターになりたかった理由は、人物を描きたかったから。一方、キャリアカウンセラーは、相談者の人生の物語を聴くことができます。職種は違いますが、根本的なところで私のやりたかったことに通じます。
 「実現できたらいいなあ」
 キャリアカウンセラーとして生きていくこと大きな魅力を感じました。



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★『キャリアカウンセラー養成講座』で自分の人生にYESを出せて、シナリオライターでやりたかったことをキャリアカウンセラーとして実現できそうだと考えた原博子さん。その後もさまざまな出来事が起こります。本記事の続きは来月の当コーナーでご紹介いたします。
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