夢はシナリオライター、現実は二転三転
[2017/07/28]
人生にはさまざまな転機がありますよね。
みなさんには、どのような転機がありましたか?
自ら選んだ転機、予想外の出来事による転機、期待通りにいかなかったことによる転機、自分にとって望ましい転機、望ましくない転機・・・。「今まさに転機かも」と感じている人もいることでしょう。
そうした転機を迎えた時、対処の仕方は人によって異なります。何をどう感じ、どう考え、どう行動するか? あるいはしないか? そうしたところに個性が表れるのでしょうし、その経験がつながってキャリアをつくっていくのかもしれません。
「仕事をどうしようか?」「働き方をどうしようか?」「このままでいいのだろうか?」など、悩み・迷い・もやもやを抱いている人も、ある意味で転機と言えるかもしれません。
そこで、転機がどのように未来へとつながっていくのかに着目し、その人のキャリアストーリーをうかがうシリーズ企画を立ち上げました。最初に登場していただくのは、日本マンパワーでキャリアコンサルタント国家資格の面接試験対策講座インストラクターも務める原博子さんです。結婚・出産などを含めた原さんのストーリー、ぜひご一読ください。
●今回お話を聞いたのは・・・
社会保険労務士
CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
2級キャリア・コンサルティング技能士
JCDA認定 ピアファシリテーターアドバイザー
日本キャリア開発協会 東関東支部 千葉地区役員 PF担当
原 博子 さん
新卒での就職先は不動産会社
私は小さい頃からシナリオライターになるのが夢でした。高校でも大学でも演劇活動に明け暮れ、オリジナルのシナリオを創作していました。
そんな私が新卒で就職したのは不動産会社です。不動産に興味があったからではありません。社長がたまたま演劇を好きな方で、「会社勤めをしながらシナリオライターの仕事をしてもいいよ」とダブルワークを認めてくれたからです。
不動産会社の仕事は土地活用の営業で、さまざまなことを学びました。会社にもよくしてもらいました。ただ、入社5年が経った頃、どうしても「シナリオ1本でがんばってみたい」という気持ちが捨てきれず、退職の決意をしました。27歳の時です。
派遣コーディネーターのアルバイト
でも、駆け出しのシナリオライターに大きな仕事が舞い込むことはほとんどありません。最初は、Vシネマのシナリオの下書きを書いたり、テレビ局で企画書を書いたり、マンガの原作を書いたり。いわば、下働きのような仕事をしていました。実家暮らしでしたから生活には困りませんでしたが、自立している状態とは言えませんでした。
そこで、親にこれ以上負担をかけないようにと、情報誌でアルバイトを探しました。そうして目についたのが、人材派遣会社の派遣コーディネーター募集です。どうやら、派遣登録を希望するスタッフさんの面談をして、その人の希望や特性をシートにまとめる仕事のようです。
「これはシナリオの勉強になるかも」
そう思って応募したところ、無事合格。1日に20〜30人の面談をしてシートにまとめるという日々が続きました。
そうしたある日、社内の営業担当者から「原さんのシートはわかりやすくていいね。マッチング率が上がるよ」と言われました。その理由を聞くと、「登録希望者の特性や雰囲気が書かれていてわかりやすい」と言います。
おそらく、シナリオの下働きが役に立ったのでしょう。キャラクター設定のため、登場人物の履歴書を作成する仕事をしていたからです。具体的には、生い立ち、家族、家庭環境、趣味、恋愛、生き方など、架空の人物の特性を考えて履歴書化していました。そのおかげで、派遣コーディネーターとして働いている時も、知らず知らずのうちにスタッフさんの特性や雰囲気をシートに書き入れていたようです。
結婚・妊娠、仕事も順調
そうしているうちに、Vシネマの企画を書いている時に知り合った監督さんや役者さんとのつながりから、シナリオの仕事が次第に増えてきました。
また、プライベードでは28歳で結婚、32歳で妊娠しました。妊娠時はすでに人材派遣会社のアルバイトを辞めていましたが、シナリオの仕事は続けていました。その後もずっとシナリオを書きながら子育てをしていこうと思っていました。実際、そういう先輩もいてロールモデルになっていました。当時はいろいろなことが順調で、自分の満足度や充実度が上り調子だったように思います。
母親学級で衝撃、人生で初めてうろたえる
ところが、地域の母親学級に初めて参加した日、私の心は大きく落ち込み、転機が訪れました。母親学級で会ったお母さんたちが胎教に力を入れていることを知ったからです。聴く音楽はクラシック、食べ物にもすごく気を遣っている。みなさん、母親になることに向けて全力でエネルギーを注いでいるようでした。
一方の私はというと、すでに妊娠後期であるにもかかわらず、胎教のことなどまったく意識していませんでした。それどころか、暴力シーンの多いVシネマの仕事が中心でした。
「あぁ、お腹の子に悪影響を与えてしまっていたらどうしよう!」
自分に対するその衝撃は、人生で初めてうろたえた瞬間かもしれません。ものすごく大きな危機感・切迫感を覚えると同時に、「産まれる前に何とかしてうすめないと」と思いました。「うすめる」というのは、それまでの悪影響をうすめるという意味です。
「お腹の子のためにうすめられるものは何だろう?」
「私は文字が好きだから、本がいいだろうか?」
「何か胎教によさそうな本を買おう」
うろたえながらもそう考えて書店に行きました。そしてたまたま見つけたのが、社会保険労務士の資格を取るためのテキストです。社労士のことは、不動産会社に勤めている時から知っていて魅力を感じていたので、「よし、社労士の勉強をしよう」と決心しました。
胎教に資格学習がいいかどうかはわかりません。ただその時は、「うすめなきゃ」の一心でした。その日から何かに取り憑かれたように勉強しました。
シナリオライターの仕事は一時休止することにしました。
無事出産できたものの、子育てしながら悶々
おかげさまで、子どもは無事産まれました。男の子です。そして、傍らには社労士のテキストが山のように増えていました。
でも、知らないことを勉強するのは面白いものです。子どもの成長とともに自分も何かを得ていきたいと思っていたので、授乳中などを利用して社労士の勉強を続けることにしました。
しかし、休止していたシナリオライターの仕事には、復帰できそうもありませんでした。フリーランスの身ですから、一度仕事を断ると戻ってきにくいものですし、生活環境的にも難しい状態でした。子育てをしながら悶々としていた状態で、ライフラインチャートが大きく落ち込んだのもこの頃です。
でも逆に「何かやらなきゃ」という気持ちは強くなり、勉強に集中することができました。
原博子さんのライフラインチャート(27〜35歳)
※ライフラインチャートとは、縦軸に満足度・充実度、横軸に過去の年齢(時間軸)をとって、自己の内面を探求する曲線のことです。
ベビーカーを押して散歩をしていると
それから1年半は子育てに専念。
その日も、子どもをベビーカーに乗せて、いつものコースを散歩していました。ベビーカーを押している時はだいたい下を見ているのですが、なぜかその時はふと目の前の建物を見上げました。そうしたら、窓に大きく貼られた「○○社労士事務所」という文字が飛び込んできました。たまたま見上げたタイミングで目に入ったという偶然の出来事です。
当時、まだ社労士の資格は取れていませんでしたが、「何かやらなきゃ」という気持ちがわだかまっていたからでしょう。「こんなところで働いてみたいな」と思いました。そして、事務所名の下に書かれている電話番号に電話してみました。
「パート募集していませんか?」
「お子さんの預け先が決まったら雇います」
別に人材を募集していたわけではありませんから、社労士事務所の人もびっくりしたようです。それでも所長は私の話を親身になって聴いてくれました。
「あなたは何をやりたいのですか?」
「社労士の勉強をしているのですが、実務をしてみたいのです」
「そうですか。いいですよ、雇ってあげましょう。でもお子さんはどうするのですか?」
「保育園にでも預けて・・・」
「(苦笑しながら)このあたりの保育園は空きがないと思いますよ。まあ、預けられたら、雇ってあげますよ」
話を聴いてくださった所長は、やんわりと断ったつもりだったのだと思います。でも、私は真に受けてその足で市役所に行き、空きがあるかどうか尋ねました。すると、ちょうど転勤者がいて、自宅の近所に保育園の空きが出たと言います。早速社労士事務所に電話をして、1週間後から働き始めました。
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★不動産会社、シナリオライター、出産・育児、社労士資格挑戦、社労士事務所勤務・・。転機の多い原博子さんは、その後どのようなキャリアを形成していくのでしょうか? 転機はまだまだ続きます。本記事の続きは来月の当コーナーでご紹介いたします。