学校教育現場におけるキャリア教育の将来像
[2011/09/28]
今年4月から大学・短期大学において「キャリア教育の体制整備が義務化」されたことを受けて、キャリアカウンセラー(キャリア・コンサルタント)に求められる能力要件について、キャリア教育の拡充がなされる見込みです。その動向に関しては、先月の「ハッピーキャリアの作り方vol.36」でご紹介しました。
もっとも、キャリア教育の捉え方についてはさまざまな意見があります。そこで、日本キャリア開発協会の立野了嗣理事長に、「目指すべきキャリア教育のあり方」をテーマにお話をおうかがいしました。
キャリアカウンセラーの方はもちろん、キャリア形成支援や学校教育に関わるみなさんにとっても非常に興味深い内容ではないかと思います。
●今回お話をうかがったのは・・・
日本キャリア開発協会
理事長
立野 了嗣 さん
学校教育におけるキャリア教育とは キャリア教育は、たとえば平成23年1月31日の中央教育審議会の答申『今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について』によると、次のように定義づけられています。
「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」
端的に表現すれば、「一人一人の勤労観・職業観を育てる教育」だと一般的に捉えられています。
ただ、「目指すべきキャリア教育のあり方」については、多様な意見・考え方があります。さらに、「実際の教育現場において、どのように勤労観・職業観を育てるか」という方法論になると、より多くの意見・考え方が展開されるものと思われます。
そうした中の一見解として、私の考える“学校教育現場におけるキャリア教育についての私見”をお話しさせていただきます。
科目教育そのものにキャリア教育の視点を
現在、大学をはじめとする学校現場で取り組まれているキャリア教育体制の実態は、キャリアセンターなどを設置・整備して、たとえば正課としてキャリア形成科目をカリキュラムに組み込んだり、課外サポートとしてキャリアカウンセリングやキャリア支援のためのセミナー・アドバイスなどを行ったりしているケースが一般的だと認識しています。
もちろん、こうした体制を確立し、キャリア形成支援の充実に力を注ぐことには大きな意義があり、必要とされる取り組みだと思います。ただ、「学校教育現場における、本来目指すべきキャリア教育の姿」という観点で考えれば、「従来の科目教育に付加する形でのキャリア教育」に留まらず、「科目教育そのものにキャリア教育の視点を取り入れること」が大切なのではないかと考えます。
現在の学校教育、特に中学・高校の科目教育においては、客観的な事実を記憶することに主眼が置かれているように思われます。そうした教育のあり方では、生徒にとって「教えてもらった事実」は教材内の出来事の域を出ないでしょう。そのため、「教えてもらった事実」と「自分」との関係を結びつけて考えるのが難しいかと思います。
たとえば中学1年生のA君が、第2次世界大戦に関して、開戦の年代やサンフランシスコ講和条約に調印しなかった国の名前などを学んだ(覚えた)とします。その場合、A君にとって第2次世界大戦とは一体何なのでしょうか? 「次の試験や高校入試に出そうな問題」かもしれませんし、またそうでない場合は「意味がない」かも知れません。
しかし、「1930〜40年代を青春時代として生きたアメリカの青年にとってこの戦争はどう映ったか」を考えてみたり、「広島の原爆で両親を失った13歳の日本の少女がいたとして、その少女の人生にこの戦争はどのような影響を与えたか」などを考えてみたりすることは、「自分を視点に歴史を見る」ことにつながりやすくなるのではないかと思うのです。
歴史を客観的な知識としてではなく、たとえその時代・その場所にいなくても「歴史に参画する」ことになるのではないかと思います。
これは、歴史のような社会科学系の科目だけではありません。数学や化学のような授業でも同様です。「微分方程式について、自分はこのようなものだと捉え、このように考えている」と教師が自分の考えを生徒に語りかけてみる。そうすれば、単にその数式を記憶して計算するだけの授業とは異なり、「じゃあ自分は、この数式をどう考えているのだろう」と生徒が微分方程式の自分にとっての意味を考えることにつながるのではないでしょうか。
方法はたくさんあると思います。先ほど歴史の例では「歴史に参画する」、数学の例では「自分にとっての意味」と言いましたが、要するに「歴史を経験する」「微分方程式を経験する」ということです。全科目に共通するよう一言で表現するならば、「科目教育そのものにキャリア教育の視点を取り入れる」とは「学習内容を経験する」ということだと考えます。
そのポイントは「経験」にあります。その部分をもう少し詳しくご説明します。
経験代謝のサイクルを回す
キャリアカウンセリングのメカニズムとして、経験代謝((C)JCDA)という概念があります。経験代謝についての詳しい説明は省かせていただきますが、キャリアカウンセリングでは、クライエントが自身の経験を再現し、その経験に意味を出現させることで、キャリアに関する自己概念を深めていけるように支援します。
ここではごく簡単に、経験代謝のポイントだけ説明させていただきます。
経験代謝とは新陳代謝からとった造語です。「経験を糧に(心は)成長する」と昔から言われることですがそのメカニズムを示したものです。
新陳代謝は食べ物や飲み物を体内に取り込んでエネルギーや肉体の一部に変え、老廃物を体外に出す、その循環を言います。これは、肉体に備わった無意識的作用です。
経験代謝は飲食物の変わりに経験を置いたわけですが、経験は飲食物と違い、自動的に心の糧にはなりません。なぜ自動的に糧とならないか、それは経験の背後にはその人の心が作用するからです。その心が客観的には捉えられないところが厄介なところです。
心の糧とするポイントは、経験を意識することです。
経験代謝の概念を図示したものです。キャリア教育で言えばこの「経験」の部分が歴史や数学などの「学習」になると思います。
社会と自分との関係・結びつきを考えられる授業
先ほど紹介した歴史の授業での問いかけや数学の授業での教師の語りかけは、科目教育に経験代謝のメカニズムを取り入れていると考えられます。必ずしも児童・生徒・学生の経験を再現しなくても、他者の経験を自分の準経験として捉えたり、自分の経験と重ね合わせたりすることができます。これにより、児童・生徒・学生が自分と社会とのつながりを感じ、思考し、自己概念の成長を促すことにつながるものと思われます。
キャリア教育とは、職業との結びつきだけに限ったものではありません。社会生活や社会のしくみと自分との関係・結びつきを考えることも、「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てる」ことに効果的な影響を与えることでしょう。
●仕事とそれに携わる者の自己概念との関係から仕事の場を「経験の場」に変えることが、経験代謝の仕事への応用です。
児童・生徒・学生の立場から言えば、授業自体が経験の場となるような教育、「授業を経験する」という感覚の教育と言えるかもしれません。
●学習を「理解」や「記憶」の対象から、生徒の自己概念との関係から意味の出現につなげる「経験の場」に変えることが、経験代謝の学習への応用だと思います。
これが、私の考える“学校教育現場におけるキャリア教育”です。
アメリカの20世紀前半を代表する哲学者、教育改革者、社会思想家であるジョン・デューイは、経験と教育に関して「経験の、経験による、経験のための教育」と言いました。私はこの言葉をもじって、次のように主張したいと思います。
「経験の、経験による、経験のためのキャリア教育」
近い将来、科目教育に経験代謝のメカニズムが取り入れられることを期待しています。