辛い仕事でも、どこかでそれを楽しんでいた自分がいた
[2018/02/28]
「働き方改革」についてさまざまな場で議論がなされていますが、「よくわからない」という人も多いのではないでしょうか。そもそも、「働き方改革」が何を目的としているのか、何を意味しているのかが、立場や人によって異なるように見受けられます。そんな状態ですから、自分への影響まで想像するのはまだ難しいのかもしれません。
一方で、「人生100年時代」とも言われます。ベストセラー書籍『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』で書かれているように、本当に100歳まで生きるのが当たり前のような時代になったら、私たちはいったいどのように働き、どのように生きることになるのでしょうか。
そこで、「働き方」に着目するシリーズ企画をスタートさせました。
「自分にとって、どのような働き方が望ましいのだろう?」
そうした問いかけへの参考にしていただければと、さまざまな人が働いてきた足跡と、その人の感じ方・考え方をご紹介いたします。
今回ご紹介するのは、外食産業に40年近く勤めてきた、原川始さんの働き方です。長時間労働、異動、転勤、単身赴任、体調不良、出向・転籍、定年など、長く働いてきたからこそ語れる原川さんの経験、ぜひご一読ください。
●今回お話を聞いたのは・・・
外食産業会社勤務
CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
原川 始 さん
仕事内容の想像がつかない会社に就職
私が就職活動を迎えた頃は、オイルショックの影響を受けてか就職難と言われていました。しかも私自身、何をやりたいか、どこで働きたいかをあまり考えてきませんでした。親も何も意見を言わない。それで追い詰められたように、「衣食住の中で、自分はどれが好きなんだろう?」と考えてみました。その答えが食。部屋や洋服にはあまり関心がありませんでしたが、食べることは好きでした。「じゃあ、食に関係する仕事に就こうかな」。そんな感じで就職活動を始めました。
ただ、食に関係する会社と言ってもたくさんあります。メーカーから卸、小売、外食産業まで業種もさまざまです。そこで、「まずは何社かを訪問してみよう」「人事の人と話をして、その話の中から何か感じるものがあるかもしれない」と考えて、何社かに足を運びました。そうして内定をいただいたのが2社です。
1社はファストフードの大手企業です。非常にしっかりした会社で、本社も最先端の高層ビル内にありました。人事ご担当者も非常にいい方で、「一緒にがんばりましょう」と言ってくれました。
もう1社は成長途上のファミリーレストラン。こちらの人事ご担当者はものすごく熱い情熱が感じられる方で、会社の良い点も悪い点もさらけ出してくれた上で、「でも、やってみないか?」と誘われました。
もっとも、実はそれまで、「外食産業は水商売」というイメージを少し持っていました。就職のことに口を挟まなかった親からも、「大学を出てやるような仕事じゃないだろう」と反対されました。それでも、2人の人事ご担当者には魅力を感じましたし、それぞれに特有の良さがありました。どちらに入社するか、非常に迷ったのですが、最終的にファミリーレストランに決めました。なぜなら、入社後に自分がどのような仕事をするのか、ファストフードはある程度想像がつきましたが、ファミリーレストランはまったく想像がつかなかったからです。それほど、ファミリーレストランの人事ご担当者の“成長に向けての話”は、スケールが大きいものでした。私はその熱い話に、「本当に成長するのであれば面白い」と感じ入ってしまったのです。
「とんでもない会社に入ってしまった」
ところが、入社3日目にして、「とんでもない会社に入ってしまった」「選択を間違ったかもしれない」と思いました。その会社では、新人は全員、店舗現場に配属されるのですが、それがあまりに厳しかったからです。私はフロア係を担当したのですが、忙しいなんてものじゃありませんでした。店を開けた瞬間からお客様が大勢入ってくる状態でしたから、まるで馬車馬のように働くしかありませんでした。1日の拘束時間は12時間以上。休憩はご飯をかき込むだけ。自分の次の休みがいつかもわかりません。実際、休日は1週間に1日あるかないかでした。
しかも、2ヵ月後には私たち社員は、その時の状況判断でアルバイトスタッフの配置を指示しなければなりません。でも、大学を出たばかりで実力のない社員の指示など、誰も聞いてくれない。「なにバカなこと言ってんのよ」「あんた、偉そうなこと言ってても仕事できないじゃないの」と、アルバイトスタッフから一蹴される始末。邪魔者扱いと言ってもいいくらいでした。
とても辛くて会社を辞めたくなりましたが、自分で決めて入社した会社ですから、そのまま辞めるのは悔しい。それに、自分が経験不足で実力がないのは事実でした。ですから、「辞めるのはいつでもできる。まずできるようになってから辞めよう」と思い直しました。
また、お客様からの「おいしかったよ」「ありがとう」という言葉が救いになりました。自分の心身がきつければきついほど、そうした言葉が心に沁みました。
いい上司にも恵まれました。ある日、店長が声をかけてくれたのです。
「原川君、お客様の入店案内と、オーダー受けと、料理運びが一度に発生したら、1人ではできないよね。そんな時は優先順位があるんだよ。お客様にとって、どれが大事だと思う?」
「でも、私にはできません」
「だったら声をかけようよ。『これが終わったらすぐ行きます』と言えばいいんじゃないかな?」
このアドバイスで、「ああ、そういうことなのか!」と合点しました。それからは仕事をうまく回せるようになり、先輩アルバイトスタッフも私の意見を聞いてくれるようになりました。よくよく付き合ってみると、みなさん明るい方ばかりで、どんなに忙しくても楽しく働くことができました。
厳しい店長から無理難題を言われても
ところが、入社後異動3店舗目でも壁にぶつかります。社内でも厳しいことで有名な店長の店に、異動したのです。しかも、それまでフロア担当だったのに、何の研修をすることもなくキッチン担当として。店長からは無理難題も言われました。たとえば、「2時間以内に5kgのスパゲティを1人前ずつに分けてラップして置いておくように」とか。5kgのスパゲティの量というのは想像できないかもしれませんが、とても2時間でできるような量ではありません。毎日、どうやってここから抜け出そうかと考えていました。
でも、その厳しい店長は2時間で5kg分の仕事ができるのです。それがわかったら、「よし、店長より早くやってやろう」という気持ちがわいてきました。苦しく辛い仕事の中でも、どこかでそれを楽しんでいた自分がいたのかもしれません。簡単にできる仕事はすぐに飽きてしまいますから。
また、自分ができないことはできる人に尋ねるしかありません。アルバイトスタッフの人にいろいろ聞きながら、なんとかキッチン担当の仕事もできるようになっていきました。
そうした頃、厳しい店長が私にこう言ったのです。
「原川君が来てくれて、在庫管理をしてくれたおかげで、在庫がすごく減ったよ。原川君、すごいね」
「この人、褒めることもできるんだ」と驚いたと同時に、素直にうれしく思いました。そして、一緒に働いている仲間に感謝しました。周囲のみなさんが助けてくれたおかげで、仕事ができるようになったのですから。
随分昔の話ですが、私の社会人初期はそのように働いていました。
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★入社1〜3年の原川さんは、あたかも修行のように厳しい中で働きつつも、仕事を覚え、自分が成長していく楽しさを感じていたようです。入社4年目になると、いよいよ店長への道が開けてきます。その後の原川さんの働きぶりは、来月の当コーナーでご紹介いたします。
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