ちょっと一息

今につながる「私の転機」 vol.5

独りぼっちが寂しくて涙を流していた専業主婦が・・・

[2017/11/29]

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 十人十色のキャリアストーリー。
 一人ひとりのストーリーの中にはいくつかの転機があり、その場面、場面で感情が揺れ動き、さまざまな思いを抱き、動いたり動くことができなかったり。対処の仕方も十人十色だと思います。
 転機の対処にあたっては、キャリアコンサルタントやキャリアカウンセラーに相談すると、自分のありたい方向性が見えてくると言われます。でも、当のキャリアコンサルタントやキャリアカウンセラーにも、さまざまな転機があるはずですよね。もしかすると、本人に苦しく辛い転機があったからこそ、相談を受けられるのかもしれません。

 本記事では、キャリアカウンセラーや大学講師などを務めるほか、日本キャリア開発協会の神奈川地区長でもある野条美貴さんにお話をおうかがいしました。野条さんのお話には、就職、退職、出産、子育て、パートタイム、転勤など、さまざまなドラマが詰まっています。ぜひご一読ください。


●今回お話を聞いたのは・・・
 CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
 国家資格キャリアコンサルタント
 2級キャリア・コンサルティング技能士
 2級ファイナンシャルプランニング技能士
 メンタルヘルス・マネジメント検定Ⅰ種合格
 日本キャリア開発協会 西関東支部 神奈川地区長
 野条 美貴(のじょう・みき) さん


女性の就職氷河期、落ち続けた後に

 私が大学で就職活動を迎えた頃は、バブル経済が崩壊した直後で、女性の採用が急に手控えられた時期でした。いわゆる就職氷河期です。団塊ジュニア世代で人口が多いため、あぶれる学生が生じてしまう状況でした。私も数えきれないくらいの会社を受け、落ち続けました。おそらく50社以上は受けたと思います。
 しかも、やりたいことが定まっていない状態。食品会社や金融機関、マスコミ関係など、志望業界もばらばら。運よく最終面接などに進んでも、「何をやりたいの?」と聞かれてアワアワしてうまくいかない、という繰り返しでした。
 それでも、人あたりをよくしていたせいか、時期遅くの内定を3社からいただきました。その中で私が選んだのは、警備会社です。なぜ警備会社を選んだかというと、座って事務業務をするよりも、外回り営業の方が性に合っていると思ったからです。
 「これからはホームセキュリティの分野が伸びるだろうし、高齢者や女性のお宅に営業でうかがうなら、男性よりも女性の方が安心されるだろう」
 そんなことを勝手に考えていました。勤務先は地元の神戸です。
 配属されたのは希望通りの営業・・ではなく、予想外の採用課です。主な担当業務は新卒・中途の正社員採用。具体的には、採用計画策定と募集活動、会社説明会の企画立案・実施、採用試験の実施、新入社員の入社手続きやガイダンス、若手社員の定着支援のための相談対応などです。
 希望していた業務ではありませんでしたが、仕事は非常に楽しいものでした。大学の研究室や高校を回って先生に会社説明をして学生紹介のお願いをしたり、大学・専門学校で会社説明会を開催したり。好きな外回りの仕事に多く携わりました。採用の重要性も理解でき、成果も着実に上げていくことができました。


出産、退職、専業主婦、転勤、転勤

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 そうした充実の毎日を送る中、ご縁があって社内結婚することになりました。幸い、結婚後も働くことができたのですが、第1子を出産するのを機に退職することとしました。28歳の時です。
 子どもを授かったこと自体はとてもうれしかったのですが、居心地のいい環境でやりがいを持って働いていたので、会社を辞めるのは残念でした。ただ、当時は「子どもが生まれたら、母親が専業主婦になって面倒をみるのが当たり前」という考え方が根強く、私自身もそう思っていました。勤務先の支社でも、過去に育児休業を取った先輩は誰もいませんでした。
 初めての子育てでは戸惑うことが多く、育児にあまり関心のない夫とよく衝突をしていました。私が三姉妹であったことから「子どもは3人くらい欲しい」と思っていたので、2年後に次男も生まれたのですが、この頃はとにかく家事と育児でいっぱいいっぱいでした。

 長男が6歳になった時には、夫に転勤辞令が出ました。私が勤めていた会社、つまり夫が勤める会社は転勤が多いのです。転勤先は東京。私はずっと親元を離れたことがありませんでしたし、東京は未知の場所です。
 また、三姉妹の長女である私が、病弱の実母を一人残して転居していいのか、非常に悩みました。でも、6歳と4歳のやんちゃな息子たちを一人で育てる自信もなく、長男の卒園を待ってから東京に引っ越しをしました。
 身内のいない土地はとても不安でしたが、幸い社宅には地方出身者が多かったので、次第に友人もできて、都会生活を楽しめるようになりました。東京での生活は思っていた以上に楽しく、専業主婦を謳歌していました。
 ところが、私が37歳の時、夫がまたもや転勤することになったのです。


家に一人取り残され、涙が落ちた日々

 今度の転勤は、私にとってすごく辛い転勤となりました。ライフラインチャート(※)で言えば、大学を卒業してから最も落ち込んだ時期です。

※縦軸に満足度・充実度、横軸に過去の年齢(時間軸)をとって、自己の内面を探求する曲線のこと。

 なぜ辛かったかというと、転勤先の島根には誰も知り合いがいなかったからです。実家からも遠い。社宅ではなく借り上げマンションなので、友だちになるきっかけもない。朝、夫が会社に行き、息子2人が学校に出掛けると、私一人が家に取り残される。働いていないので張り合いもない。ポツンと独りぼっちでマンションにいると、寂しくなって、いつの間にか涙が落ちていました。来る日も来る日も部屋で独り泣いていました。
 そうしたある日、私を気遣ってくれた実家の母がこう言いました。
 「パートタイムにでも出たら?」
 確かに。私は仕事が大好きでしたから、子どもが小学校から帰宅するまでの時間であれば、働けそうです。夫も、おそらく私の暗い表情が心配だったのでしょう、パートタイマーとして働くことに賛同してくれました。
 私は早速、ハローワークに行って、「10時から2時か3時までの間、事務の仕事を探しています」とお願いしました。すると、相談員の方から意外な質問を受けることになります。
  「パソコンはできますか?」
   「いえ、ワープロならできますけど・・」
  「エクセルはわかりますか?」
   「えっ、それは何ですか?」
  「パソコンができなければ、事務は無理ですね」
   「はあ、そうですか・・」
 しょんぼりして帰ろうとしたら、「あ、ちょっと待って」と職員の方に呼び止められました。
  「野条さん、以前はどういう仕事をしていましたか?」
   「人事で採用業務を担当していました」
  「そうですか。じゃあ、もしかすると適した募集があるかも」
 後でわかったことですが、その募集はまさに私が訪れていたハローワークの相談員の仕事でした。フルタイムでの求人でしたが「働きたい」という思いが強く、藁にもすがる思いで応募しました。
 しかし、警備会社を辞めてから9年間のブランクがありましたので、働くことへの不安は拭えません。採用面接官もそれが気になったようで、「何年も仕事をしていないのに、大丈夫ですか?」などと聞かれました。それに対して、「大丈夫です」「できます」「がんばります」とPRして、採用していただくことができました。島根の方言も話せず、覚えるべき法律がたくさんあり、悔しい思いをすることもありましたが、必死に働きました。

授業参観に画像エラー行けず、転職を決意

 そんなある時、小学1年生の次男の授業参観日がありました。平日で夫は休めません。私も必死に仕事を覚えている時期でしたので、「休みを取らせてください」とお願いすることができませんでした。
 「ごめんね、仕事があるから行けないよ
 次男にはそう謝りましたが、相手は小学1年生です。学校で親子みんながゲームなどをして楽しんでいる中、寂しい思いをしたはずです。
 「お母さん、どうして来てくれなかったの
 「ぼく、独りぼっちだったんだよ
 そう言いながらウワーンと泣く姿を見て、「今の働き方じゃあダメだ」と痛感し、転職を決意しました。

 幸いハローワークに勤めていましたから、求人情報をたくさん目にすることができます。その中から、雇用・能力開発機構島根センター(名称は当時)の求人を見つけました。独立行政法人の職業訓練機関です。そこであれば週3日か4日の勤務条件。子どもに寂しい思いをさせない働き方ができます。業務内容も、訓練生に対する就労支援、アドバイス、履歴書対策講座、受講説明会・選考試験・面接の実施など。今までのキャリアを伸ばせる、願ったり叶ったりの条件でした。
 実際の仕事は非常に勉強になり、楽しく、やりがいもあり、とても充実していました。


CDAの先輩から資格取得を勧められ・・・

 また、職場の先輩の中にCDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)の方がいて、資格取得を勧められました。
 「野条さんは転勤が多いから、これからもこういう仕事を続けたいのなら、何かカウンセラー系の資格を取っておいた方がいいよ」
 実は、ハローワークに勤めているときも、資格の存在は知っていました。まったく同じ仕事をしているのに、資格の有無によって時給に格差がありましたから。ただ、CDAのことを詳しく知ったのは、雇用・能力開発機構の先輩に勧められてからです。
 別の資格も視野に入れ、通学の期間・日程も含めていろいろと調べてみました。そうして検討した末、CDA資格を目指して、日本マンパワー『キャリアカウンセラー養成講座』(現在の『キャリアコンサルタント養成講座』の前身)を島根で受講することにしました。2011年の夏、意気揚々と通学する運びになるのですが・・またまた大問題が生じたのです。

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野条美貴さんのライフラインチャート(22〜39歳)

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★野条美貴さんのキャリアは、転機に次ぐ転機。独りぼっちの寂しさから抜け出し、やりがいをもって働くことで笑顔が戻り、CDA資格取得に向けて動き出した矢先ですが。いったい何が起こったのでしょうか? 本記事の続きは来月の当コーナーでご紹介いたします。
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